光明稲荷神社「月次祭」(2025.7.15) 「月次祭を始めとする神事全てへの思い」 

皆さま、こんにちは。光明稲荷神社 神職 髙野みどりです。

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光明稲荷神社・月次祭 令和7年7月17日(2025.7.15)


今日は、令和7年7月17日(2025.7.15)。光明稲荷神社 月次祭を執り行わさせて戴きました。


昨夜から少しずつ台風の影響があり、今朝は横殴りの大雨となりました。
日本全国、大きな被害が起こらない事、今日一日が無事に過ごせますようにと
御祈願させて戴きました。

月次祭について

さて、本日の「月次祭」とは、祈願、清祓い、鎮魂、奉祝祭など、様々、数多くある神事の中の一つです。

「月次」(つきなみ)とは、字の如し。毎月、又、定期的に執り行う祭祀の事でございます。されど、決してありきたりで当たり前、という意味の内容では決してございません。

「当たり前の日々」「いつもの同じ」であることは、どんな大切でどんなにか素晴らしい事です。他の神事と同様に、「月次祭」にて稲荷大神様に祝詞を通じて日々、お守り戴いている感謝と生きとし生けるもの全てに幸あれと、切なる願いをお伝えさせて戴きます。

私の神饌への思い

神事の大きさに関わらず、神饌は必ずお上げさせて戴き、稲荷大神様に感謝をお伝えします。先月の夏越大祓式での茅の輪くぐりの由来でお伝えしましたが、神饌に関することでは、いつも蘇民将来の伝説を思い出します。

蘇民将来はとても貧しい農民でした。でも、スサノオノミコトが旅の途中、疲労困憊、とても薄汚れた身なりで宿を願い出た時、自身が貧しいにも関わらず出来る限りのもてなしをした、というお話です。

どんな時でも「相手を思いやる気持ち」「相手に対しての敬意」これは、神饌にもその方の心根が現れると私は思っています。贅を尽くすだけが、お金を掛けるだけが全てではありません。

蘇民将来の様にたとえ、貧しくても、出来る限りの誠意を以て、神様をもてなす気持ち。もちろん、彼はスサノオノミコトが神様だったとは知らなかったけれども身分を分け隔てなく、見かけで判断して態度を変えることはしなかったのです。

つまり、ご利益があるから、見返りがあるだろうとかの打算は全く無かったのです。この蘇民将来の心ねは、まさに神様に対する事と相違ありません。

常に打算なく私利私欲なく、誠意を以て、正常な心、身体で向かわせていただく事。神饌はまさに、そのもの全てを顕す事だと私は思っています。

丁寧に神饌を載せる。麻をで結わく・・・。身の丈に合ったものでかまわないのです。誠心誠意、全てにおいて出来ることをさせて戴くこと。これは全てにおいて、神様に対しての感謝にほかならない。

稲荷大神様に喜んで戴きたい、ただ、それだけです。私は、いつも、神饌をご用意する時、お作りするとき、いつも、そう思っております。

月次祭を始めとする神事全てへの思い

私は畏れ多くも稲荷大神様からご神縁を賜り、こうして今も神事をさせて戴いております。まだまだ未熟な頃は今よりも軸がブレてしまう事も多々、ございました。今は、以前よりは真っ直ぐな気持で無心に稲荷大神様に向かう事が出来るようになってまいりました。

今も昔も変わらないこと。それは、どの神事においても「稲荷大神さまを全身全霊で信じ、他者、弱き小さき命の為に真摯に祈りを捧げること。」

毎朝、毎晩、毎月、繰り返される神事。その他、様々な神事においても、全ての神事に対して同じ心で向かいます。稲荷大神様に捧げる神事を信じ、とても大切にしています。

「稲荷大神さまを信じること」すなわち、「自分自身を信じること」はなんとも幸せな事なのでしょうか。

少しでも、自分自身の存在全てに自信を失くしてしまった時。けれど、稲荷大神さまは必ず、お見捨てにならない。私利私欲なく生き、自身の行く道を信じ、祈りを捧げる者を必ず、観ていてくださっています。どんな時も。独りではないのです。

さあ、いよいよ7月も後半です。今日は大雨ですが、夏、本番です!! 暑さに負けず、元気に笑顔でまいりましょう。

笑う門には福来る!!

信じる者は救われる(*^▽^*)

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