月次祭|令和八年一月十五日
― 己を顧みた時、必ず見え得ることがある ―

皆さま、こんにちは。
光明稲荷神社 宮司の髙野みどりです。
本日は令和八年一月十五日。
小寒の候にふさわしく、今朝は身が引き締まるような冷え込みでしたが、鳥たちの清らかな囀りが響き、心洗われる朝となりました。
本日、光明稲荷神社では月次祭を執り行わさせていただきました。
月次祭に込めた感謝と祈り

生きとし生けるものすべての幸せを願って
この月次祭では、一月に入ってからの半月間、皆さま、そして生きとし生けるものたちが、笑顔あふれる日々をお過ごしになれましたことへの感謝をお伝えし、
「これからの半月も変わらぬご守護を賜りますように」
と、稲荷大神様へ心を込めてご祈念申し上げました。
月次祭とはどのような神事か
月次祭(つきなみさい)とは、毎月定められた日に斎行される、最も大切な定例祭のひとつです。
日々の暮らしの中で無事に過ごせていることへの感謝を捧げるとともに、これからの月日も変わらぬ
ご守護をお願いする、祈りの積み重ねの神事でございます。
一年に一度の大祭とは異なり、月次祭は「今の自分」と向き合う機会でもあります。
その時々の心のあり方や歩みを、大神様の御前で静かに省みる、尊い時間なのです。
お正月から日常へ、心の移ろい
早いもので、年が明けてから半月が過ぎました。
鏡餅や門松をお下げし、皆さまも少しずつお正月気分から、日々の生活のペースへと戻られていることと存じます。
私どもにとりましても、一月一日の歳旦祭、そして本日の月次祭は、年明け二度目の大切な定例神事です。
「心新たに」が何度も訪れる不思議

歳旦祭と、十五日の月次祭
歳旦祭は歳初めの神事でございますから、
「心新たに」という思いが強く湧き上がるのは自然なことですが、
なぜか本日の月次祭でも、
「いよいよ始まった」
という感覚が胸に込み上げ、自然と身が引き締まりました。
すでに新年を迎えているにもかかわらず、
何度も【心新たに】という気持ちになる自分自身を、不思議に感じておりました。
己を顧みるということ

随神の道の中で大切にしてきたこと
振り返りますと、これまで私は何度も何度も己を顧みる時間を重ねてまいりました。
進んでは立ち止まり、
また進んでは改めて振り返る。
随神の道を歩む中で、この姿勢を何より大切にしてきたのです。
「己を顧みる」とはどういう意味か
「己を顧みる」とは、自分を責めることでも、過去を悔やむことでもありません。
今の自分の心の状態、歩んできた道、そしてこれから進もうとしている方向を、素直な気持ちで見つめ直すことを意味します。
立ち止まり、振り返ることで、初めて見えてくるものがあります。
そして、その気づきこそが、次の一歩をより確かなものへと導いてくれるのです。
月次祭にて賜った大神様のお言葉
心を見透かされたような導き
そんな折、今朝の月次祭にて、稲荷大神様より尊いお言葉を賜りました。
「良き時も悪しき時も、かまわず恐れず前に進みなさい。
そして、己を顧みた時、必ず見え得ることがある」
その瞬間、思わず胸が震えました。
大神様のお言葉が示す生き方
「良き時も悪しき時も、恐れず前に進みなさい」
このお言葉は、どんな状況であっても歩みを止める必要はない、という温かな励ましに感じられます。
そして、「己を顧みた時、必ず見え得ることがある」というお言葉は、
自分自身を信じ、振り返る勇気を持つことで、道は自然と開けていくという教えではないでしょうか。
迷いながらも前へ進み、時に立ち止まり、また歩き出す。
その繰り返しの中にこそ、大神様がお示しくださる“生き方の道しるべ”があるのだと、深く感じさせていただきました。
大神様は、すべてお見通し

驚きと、深い感謝
驚きました。
稲荷大神様は、いつも私の心をお見通しなのです。
まさに、お言葉の通りでございました。
月次祭は、決して「同じことの繰り返し」ではありません。
その都度、その時々の心に寄り添い、導いてくださる――
それが月次祭なのだと、改めて感じさせていただきました。
心新たに、信じて、また一歩前へ
いただいた尊き教え
- いつも「心新たに」の気持ちを大切にすること
- 己を顧み、自らを信じること
- そして、改めて前へ進むこと
今回も、誠に尊きお言葉を賜ることができました。
畏れ多くも稲荷大神様が、いつも私どものことを見守ってくださっていることに、感謝の念で胸がいっぱいでございます。
誠に、ありがとうございます。
一月後半へ向けて

さあ、いよいよ一月も後半に入ります。
寒さが続く折、どうか体調管理を万全に、元気にお過ごしください。
「笑う門には福来る」
皆さまのもとに、たくさんの福が訪れますように。
