神さまって、み~んな良い神さまって思っていらっしゃる方が多いと思います。
いいえ、神さまには善神と悪神・邪神=禍神がいるんです(^_^;)
古事記・日本書紀では、イザナギノミコトが禊祓をした時に現れた、
「大枉津日神・おおまがつひのかみ」「八十枉津日神・やそまがつひのかみ」の事を指します。
この二神ですが、いろいろな禍を私たちに引き起こすことをします。
ですので、祓いの神事ではこの二神の名前が祝詞の中にが入っている事がありますので、
神事の際に聞かれた事がある方もいらっしゃることかと思います。
どんな悪神かというのを、昔からいろいろな学者が論議していました。
本居宣長は、イザナギノミコトがイザナミノミコトを追いかけて行った際に、
黄泉の国で穢れに触れて生じた神だから悪の根元神だと言っているのに対して、
平田篤胤は悪の存在を指摘する神だから最終的には善神である、としています。
ちなみに「禍神」と言うのは、語義からすると、「曲がった神」の義で、
この曲がりを直そう・正そうとする神さまもいらっしゃいます。
これが、大直日神(おおなおひのかみ)、神直日神(かむなおひのかみ)なのです。
さて、これは、記紀(古事記・日本書紀)で言われている邪神ですね。
実は…私もこの邪神のようなものに出くわして一時の間、振り回された
ひどい経験があるのです。
寸での処で、守護神さまに救って戴き気付く事が出来ました。(x_x)
もちろん、大枉津日神、八十枉津日神、ではないのですが・・・。
恐らくは、神界ではとても階級が下の、私利私欲の塊のような邪気でいっぱいの、
もちろん正神になろうにもなれない、神の尊格、力に憧れ神界に入れないような
霊体だったのでしょう。
このような霊体は神に憧れていますから、そこかしこの霊場、霊山、神社仏閣
にいるのです。
とにかく、自分を祀って欲しい、神として崇め奉られたいと願って止みません。
自分が憑いて、自分の僕となるような人間を待っているのです。
例えば、こんな事があります。
普段から霊力に憧れて修行と称する滝行や霊山巡りなどしていると、突然に
いろいろな霊体が見えたり、聞こえたり、いろいろな予知が出来たりするようになり、
「我こそは神である。我を祀れ」等と聞こえたりするんです…。
「修行して霊力がついた」「神さまが自分に降りた」と・・・。
嬉しさの余り、このままそのことを真面目に信じて行ってしまうと、自分を見失い、
果ては破滅の道をたどってしまうのです。これほど、恐いことはありません。
良くある、ケースなのです。
ですから、霊が集まりやすい場所では安易に指導者なしに行をしたり、
パワースポットだからと言ってやたらむやみに霊場や霊山を巡り歩いたり、
深夜や丑三つ時などのお参りなどはしてはならないのと、私は思うのです。
私も、以前に修行している時はまだまだ今よりも未熟でしたからいろいろな
体験をしてきました。 恥ずかしい限りですが・・・(^_^;)
私の守護神さまは、体当たりの修行で体得するタイプなので、決して
「こっちの道は危ない、こっちに参れ」などとは教えてくれません(笑)
そうして、いろいろな事を学んできました。
その体験あってこそ、みなさまにこうして体験談(失敗談)をお話しでき、
お役に立てて戴く事が出来るんですものね。
今思えば、本当にありがたいことです。(^_^)