樹木伐採安全祈願神事|枝垂れ桜への感謝と祈りを込めた樹木伐採ノ儀

※この記事は、2017年11月24日に掲載した記事をリライトしたものです。

※「なぜ木に手を合わせるのか」については、こちらの記事で詳しくお話ししております。

目次

樹木伐採安全祈願神事のご依頼をいただいて

皆さま、こんにちは。光明稲荷神社 宮司 髙野みどりです。

レポートの掲載が大変遅くなってしまいましたが、この度、9月13日に樹木伐採安全祈願神事を執り行わせて戴きました。

ご依頼者さまは、新しいお住まいへ移られ、以前住まわれていた土地には無事に買い手様が決まりました。

その敷地の中には、大きく枝を広げ、春になると見事な花々を咲かせる枝垂れ桜がございました。

その姿は本当に美しく、毎年春になると多くの方の目を楽しませ、心を和ませてくれる存在でございました。

しかしながら、この度は誠に残念なことに、その枝垂れ桜を伐採することとなりました。

ご依頼者さまも、

「枝垂れ桜に忍びない。」

というお気持ちを強く持たれておりました。

せめて命だけでも未来へ繋げたいとの願いから、専門業者の方々のご協力により苗木をいくつか残して戴き、その上で「樹木伐採ノ儀」を執り行うこととなりました。

私は神事に先立ち、稲荷大神様に

「どのような形で神事を進めれば枝垂れ桜の精霊に失礼がないのでしょうか」

とお伺いを立て、ご神託を戴きながら準備を進めさせて戴きました。

そして当日は、枝垂れ桜精霊への感謝と敬意を込めて神事を執り行い、無事終了することができました。

当時の神事のお写真と、満開の花を咲かせていた頃の枝垂れ桜のお写真を掲載させて戴きます。

樹木にも命があり、精霊が宿ると私は考えております

このレポートをお読みになられる方の中にも、庭木や樹木を伐採しなければならない事情を抱えておられる方がいらっしゃるかもしれません。

私は常々思っております。

樹木であろうと草花であろうと、そこには命があり、精霊が宿っているのではないでしょうか。

私たちは木々を見て楽しみ、木陰で休み、その姿に心を癒やされております。

時には苦しい時、悲しい時、その存在そのものに心を救われることもございます。

だからこそ、

「邪魔だから切る」

「うっとうしいから伐採する」

ではなく、

「今までありがとう」

「長い間見守ってくれてありがとう」

という感謝の気持ちを伝えてから伐採して戴きたいと願っております。

樹木伐採にまつわる忘れられないお話

先日、ある方から樹木伐採にまつわるお話をお聞きしました。

あるお寺へ向かう参道沿いの土手には、多くの樹木が茂っていたそうです。

そのお寺の檀家の方々が、境内や墓地の整備を目的として、特に供養や神事、仏事などを行うことなく、その土手に生えていた木々を次々と切り倒したそうです。

それから二週間後のことでした。

伐採を取り仕切っておられた中心的な方の奥様が突然亡くなられたそうです。

それまで全くお元気であったとのことで、ご主人も大変な衝撃を受けられたと聞いております。

もちろん私は、その出来事と伐採との因果関係を断定するつもりはございません。

しかし何の断りもなく、多くの木々を切り倒してしまったことに、私は何かしらの繋がりを感じてしまうのです。

皆様はどのようにお感じになられるでしょうか。

樹木伐採の事故と自然への畏敬の念

私どもが住んでいた地域にも、樹木を切り倒す作業中に命を落とされた方がおられました。

軽いお手伝いのつもりで山へ入り、大木の伐採作業に加わったそうです。

しかし不運にも切り倒した木が予想外の方向へ飛び、その方を直撃してしまいました。

即死状態だったと聞いております。

木を切るということは、人が考える以上に危険を伴う行為です。

そして何より、長い年月を生きてきた命をいただく行為でもあります。

だからこそ私は、樹木伐採安全祈願神事を行う意味があると考えております。

海外の人々が木に感謝してから伐採する姿

以前、BS番組でヨーロッパの自然豊かな地域に住む方々の暮らしを見たことがあります。

そこでは木を切る前に、その木へ向かって何かを語りかけ、木の周りをゆっくり回り、最後に抱きしめるように感謝を伝えてからノコギリを入れておられました。

私はその光景が今でも忘れられません。

日本は古来より木の国です。

山には神が鎮まり、森には精霊が宿るという考え方が受け継がれてまいりました。

ところが現代では、そのような意識が薄れつつあるようにも感じます。

またテレビでは、海外の開発によって巨大な重機が山を削り、何十本もの木々を簡単に切り倒していく映像を見たことがあります。

その映像は、私に多くのことを考えさせました。

人間だけではなく、すべての命との共存共栄を

これまで様々な神事を執り行わせて戴く中で、私は自然のありがたさを強く感じるようになりました。

生きとし生けるものには、それぞれに命があります。

私たち人間だけがこの地球の主人ではありません。

人間以外の命とも共に生き、共に栄えていく。

私はその「共存共栄」の心が、これからますます大切になると思っております。

特に林業や自然に携わる方々には、そのお気持ちを心のどこかに留めていただけましたら幸いでございます。

枝垂れ桜精霊から戴いた御言葉

神事の最後に、私は枝垂れ桜精霊に想いをお聞きいたしました。

すると暖かな御言葉を戴くことができました。

枝垂れ桜精霊からのメッセージ

「吾の為、このような神事の計らいまこと嬉しく思う。此度の樹木伐採しかと受け止めた。どうか吾が御霊、吾がふるさと身延の山に帰り、吾が身延の山に新たな命蘇えり吾が御霊鎮まらんとす。」

私はそのお言葉を戴き、枝垂れ桜と静かに対座しながら感謝の祝詞を奏上いたしました。

そして御霊を天高くお上げし、身延の山へお送りし浄化をさせて戴きました。

こうして「樹木伐採ノ儀」は無事終了いたしました。

枝垂れ桜の命は今も生き続けています

神事終了後、枝垂れ桜は専門業者の方々によって伐採されました。

何とも言えない寂しさもございました。

しかし枝垂れ桜の命は終わったわけではありません。

残された苗木が新たな命として受け継がれていくからです。

きっとまた別の場所で花を咲かせ、多くの人々の目を楽しませ、心を和ませてくれることでしょう。

追記|受け継がれた枝垂れ桜の命

大変ありがたいことに、この枝垂れ桜の苗木は無事に根付き、命を繋ぐことができました。

そのうちの三本の新木を私どもに引き継がせて戴くことが出来ました。

当初は細く頼りない幹でございましたが、年月を重ねるごとに力強く成長し、現在では光明稲荷神社の境内で堂々とした幹を持ち、ご神木らしく、大きく枝を広げております。

春になりますと美しい花々を咲かせ、多くの参拝者の皆様を楽しませてくれるようになりました。

枝垂れ桜の命が今もなお生き続けていること。

その姿を見るたびに感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。

誠にありがとうございます。

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