辛い出来事にも意味がある──大神様の慈愛と魂の学び

※この記事は2011年12月3日に投稿した記事を、一部加筆修正したものです。

皆さま、こんにちは。
光明稲荷神社 宮司 髙野みどり です。

人生には、どうしても「なぜこんなことが起きるのだろう」と思うような辛い時期があります。

何をしてもうまくいかない。
努力しても報われない。
悲しいことや苦しいことばかりが続き、「神も仏もない」と感じてしまう。

私自身も、かつてそのような思いを抱いたことがありました。

けれども、神様にお仕えし、“かみごと”を重ねていく中で、少しずつ気づかせていただいたことがあります。

それは──
辛い経験の中にも、大神様の深い慈愛があるということです。

目次

ご眷属様が教えてくださる「学び」の道

私は未熟ながら、稲荷大神様のお使いの端くれとして、生きとし生けるもののために日々お役目を務めさせていただいております。

その中で常々感じるのは、ご眷属様方の大いなる御心です。

ご眷属神様は、稲荷大神様のお使いの神様。
大神様の御意思である「生きとし生けるものの幸せ」
の為、誠心誠意、真心以て私たちはじめ、全てのものの為に
お働きになられておられます。

その様な素晴らしいご存在でありながら、
とても謙虚で慎ましく、そして叡智に満ちた存在です。

御眷属様は決して、「ああしろ、こうしろ」と人を支配するようなことは仰いません。

むしろ、足りない部分や未熟な部分については、「自ら学びなさい」と導かれます。

分からないことを安易に答えだけ求めても、すぐには教えていただけません。

これは、何より、稲荷大神様の御意思。

「勉強せよ」
「体験して学べ」

そうして、一つ一つを実際に経験しながら理解していくよう導かれるのです。


時には、その経験が辛さや悲しみを伴うこともあります。

しかし後になって振り返ると、その出来事があったからこそ学べたこと、気づけたことが数え切れないほどあるのです。

「神も仏もない」と思った日のこと

以前の私は、辛いことが続くたびに「なぜ私ばかりが」と神様を恨んでいました。

けれど今は、少し違う見方ができるようになりました。

大きな災いが小さく済んだこと。
苦しみの中でも守られていたこと。
悲しみの中で、人の痛みを知れたこと。

そうした一つ一つが、大神様の慈愛だったのだと感じるのです。

もちろん、言葉で言うほど簡単なことではありません。

人は苦しければ不安になります。
怖れます。
怒りや妬みが湧くこともあります。

それが人間です。

だからこそ、「一人で抱え込まないこと」が大切なのだと思います。

神様は、乗り越えられない課題をお与えにならない

随神の道を歩む私たちは、神様の子です。

神様は、いつも私たちを見放さず、静かに見守ってくださっています。

そして、決して乗り越えられない課題はお与えになりません。

それはまるで、子を信じて見守る親の愛にも似ています。

世の中には、

「不幸に意味なんてない」
「辛いものは辛いだけだ」

そう感じる方もいらっしゃるでしょう。

それもまた自然なことだと思います。

けれど私は、神様の御存在を信じているからこそ、与えられた出来事から逃げずに向き合いたいのです。

どんな状況でも、自分に与えられた課題を真摯に受け止め、一歩ずつ正道を歩んでいけば、必ずどこかで光は見えてくる。

私はそう信じて、ここまで歩んでまいりました。

人それぞれの人生、そして魂の学び

人にはそれぞれ違う人生があります。

良い時もあれば、悪い時もある。
誰一人、同じ道ではありません。

しかし、人として学ぶべきことは、皆どこかで必ず学ぶようになっているのだと思います。

それは現世だけの話ではなく、“魂の学び”だからです。

だから、人を恨み続ける必要も、妬み続ける必要もありません。

人と比べるのではなく、自分自身の道を静かに歩むこと。

それが何より大切なのではないでしょうか。

私自身も、まだまだ修行の途中です。

日々、一喜一憂することもありますし、未熟さを痛感することも多々あります。

そんな時は、神様にそっとお詫びします。

「未熟者で申し訳ありません」と。

すると神様は、どこか苦笑いを浮かべながら、

「大変だのう」

と見守ってくださっているような気がするのです。

己の道を、一歩ずつ。

これからも随神の道を歩んでまいりたいと思います。

「笑う門には福来る」

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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