なぜ日本人は木に手を合わせるのか ― 八百万の神と自然への感謝、樹木伐採式に込められた意味

こんにちは。光明稲荷神社 宮司 髙野みどりです。

今日は、

「なぜ日本人は木に手を合わせるのか」

というお話を通じて、山川草木への感謝と、樹木伐採式などの神事に込められた意味についてお話ししたいと思います。

目次

木を前にしたとき、人はなぜ手を合わせるのか

私どものもとには、樹木に関する様々なご相談が寄せられます。

「亡くなった父母が植えた古木があるのですが、大分傷んできていて……。切らなければならないのですが、どうしても気持ちの整理がつかないのです。」

また、

「亡くなった父が大切に育てていた梅の木があります。この度、土地と共に手放すことになりました。毎年きれいな花を咲かせてくれた木に感謝を伝えたいのです。」

というお話もありました。

一方で、

「たかが木でしょう?」

「伐採するたびにお祓いが必要なのですか?」

という声を耳にすることもあります。

確かに、木を単なる植物として考えれば、そのような疑問を持たれるのも自然なことかもしれません。

しかし、長年神職としてご奉仕してきた中で感じるのは、多くの方が木を前にすると、単なる植物以上の存在として向き合われるということです。

日本人の自然観と八百万の神

わが国には古くから「八百万の神」という考え方があります。

神様は神社の中だけにおられるのではありません。

山にも、

川にも、

海にも、

風にも、

草木にも、

神々の御働きが満ちていると考えられてきました。

山川草木に宿る神々

特定の山や川、巨石や古木は、神様が宿られる依代(よりしろ)として敬われてきました。

ご神木やご神体として祀られているものも数多くあります。

しかし、それら特別な存在だけではありません。

私たちの祖先は、自然界に存在するあらゆるものに命や魂が宿るものとして敬い、丁重に接してきました。

だからこそ日本人は、自然を支配する対象ではなく、共に生きる存在として見つめてきたのです。

自然と共に生きる心

私たちは自然の恵みによって生かされています。

太陽の光。

大地の実り。

水の恵み。

そして木々の存在。

自然なくして人は一日たりとも生きていくことはできません。

その感謝の心が、日本人の自然観の根底に流れているのです。

なぜ樹木伐採式を行うのか

現代でも、伊勢神宮をはじめとする大きな神社では、御造営に用いる樹木を伐採する際に神事が執り行われています。

また山林作業、漁業、田植え、建築工事など、自然に手を加える場面では、今もなお神事が受け継がれています。

当神社でも、樹木伐採式や忌斧祭(いみおのさい)、大木祭など、多くの神事をご奉仕してまいりました。

樹木伐採式に込められた感謝

樹木伐採式は単に木を切るための儀式ではありません。

長年にわたり、

風雨から家を守り、

日差しを和らげ、

美しい花を咲かせ、

家族の歴史を見守ってくれた木に対して、

「今までありがとうございました」

と感謝をお伝えする神事です。

神様へのご報告とお許し

また、土地の所有者が変わること。

建物を建てること。

木を伐採すること。

そうした大きな変化を神々にご報告し、お許しをいただく意味もあります。

祝詞には、その経緯や感謝の気持ち、そして今後も災いなく平穏に過ごせるよう願う祈りを込めて奏上いたします。

鎮魂と平穏への祈り

神事では感謝だけではなく、鎮魂の意味も大切にしています。

長年その場所にあった樹木が伐採される時、その場に関わる人々の心にも様々な思いが生まれます。

だからこそ神様へご報告し、心を整え、新たな歩みへ進むための祈りを捧げるのです。

本当に大切なものは目に見えない

もし神様など存在しないのであれば。

もし礼節を尽くしても意味がないのであれば。

古代から続くこうした神事は、とっくに途絶えていたのかもしれません。

しかし現代においても、多くの方が自然に感謝し、神事を大切にされています。

それは人の心が、その必要性を感じているからではないでしょうか。

神道が大切にしてきたもの

愛情。

感謝。

信頼。

これらは目には見えません。

けれども確かに人を支えています。

神様もまた同じです。

目には見えなくとも、人の心の支えとなり続けています。

私たちは自然の一部である

現代では、人間が自然を支配しているかのように考えられることがあります。

しかし本来、私たちは宇宙の一部であり、自然の一部です。

木も、

草も、

山も、

川も、

私たちと共にこの世界を形づくっています。

だからこそ、恐れ敬うべきもの、感謝すべきものを忘れないことが大切なのです。

終わりに

もし皆さまのお庭に一本の木があるならば、少しだけその木を見上げてみてください。

その木は何十年もの歳月をその場所で過ごし、皆さまの暮らしを静かに見守ってきたかもしれません。

日本人が木に手を合わせるのは、木そのものを神様として拝んでいるからではありません。

自然の中に息づく大いなる命への感謝を忘れないためです。

そして、太古から受け継がれてきた礼節の心を、未来へ繋いでいくためでもあります。

長年見守ってくれた木の伐採や、ご神木・庭木に関するご相談、樹木伐採式をご希望の方は、どうぞお気軽に当神社までご相談ください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

※実際に当神社で執り行った樹木伐採安全祈願神事については、こちらの記事をご覧ください。


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